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夜行百モノカタリ

~月見月の百鬼夜行私的考察ブログ~

   

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山姥(やまうば)Yamauba






安永5年(1776年)に刊行された
鳥山石燕の妖怪画集「画図百鬼夜行」「前篇陰」の山姥です。













で、
こちらが画図百鬼夜行に描かれた石燕の山姥。








山姥(やまうば、やまんば)は、奥山に棲む老女の怪。 日本の妖怪で、山に住み、人を食らうと考えられている。鬼婆(おにばば)、鬼女(きじょ)とも。(wikipedia)

各地方での呼び名も様々です。たとえば
宮崎県西諸県郡真幸町(現えびの市)では「ヤマヒメ」
岡山県の深山に存在する同じく「ヤマヒメ」
静岡県磐田郡では「ヤマババ」
静岡県周智郡春野町(現・浜松市)熊切では「ホッチョバア」
八丈島では「テッジ」(テッチとも)
香川県では「川女郎(かわじょろう)」
長野県東筑摩郡では「ウバ」

説話には、「牛方山姥」や「食わず女房」、「天道さんの金の鎖」「糠福米福(米福粟福)」「姥皮」など多数あり、高知県では、山姥が家にとり憑くとその家が急速に富むという伝承があり、なかには山姥を守護神として祀る家もあるといいます。

謡曲では「安達原」の「黒塚」、諏訪千本松原の「舌長姥」なども山姥の一種。
人形浄瑠璃には「嫗山姥(こもちやまんば)」などがあります。

山姥の原型は、先住民族の末裔、木地屋やサンカといった、山間を流浪する民であるとも、山の神に仕える巫女が妖怪化していったものとも考えられており、「遠野物語」には、狂人、山の神に娶られる者、あるいは山人に攫われる者といった、山隠れする女が山姥になったという話が伝えられています。

特に興味深いのは
猟に出た山神の兄弟が、お産に苦しむ山姥に出会うが、長兄オホヤマツミノミコトがこれを助け、七万八千の子を産み、彼に猟運を授けた(長野県飯田市上村程野の伝説)や、一度に七十五人の子を産むという山神(長野県飯田市上村下栗)、徳島県では一度男の肌に触れただけで八万近くの子を妊娠した山神などがいる。宮崎県の千二百人の子を出産する山の女神。
山神の妻になった乙姫は一度に四百四人あるいは九万九千もの子を産んだと伝えられている(徳島や高知の昔話)。

加えて
「牛方山姥」では、殺された山姥の死体が、薬、金などの貴重なものとなった。
山姥の大便や乳が、錦や糸などの貴重な宝物や、不思議な力を持つ品になったといいます。

これらは日本神話における国産みがベースになっているようですが、更に

『三枚の御札』は、小僧が山姥に追いかけられ、山姥に向かって投げた御札が、川や山などの障害物を出す話で、まさしくこの構成は、イザナギが 黄泉の国でイザナミの姿を見てしまい、追いかけられて逃げ帰るという神話であり、地母神の劣化が、山姥という妖怪の本源と考えて良い。と記されていました。
イザナミは、出雲と伯耆の国境の比婆山に葬られたと古事記には記されていますが、この「比婆山」が山姥の語源という指摘もあるそうです。

この神の劣化が妖怪の本源という件こそが、百鬼夜行全体に流れる大きなテーマのように思えます。
日本の神話における隠された神のルーツにまで手を染めようとは思いませんが、あるいは百鬼夜行はパンドラの箱なのかも知れません。

話を戻して、中国の昔話にも山姥が登場します。
どんな物にでも姿を変える事が出来る山姥(やまんば)が、山奥の村のブタ小屋に火をつけ、それを修理する大工に変装しブタを盗むというお話です。最後におじいさんとおばあさんに鉄の熊手でさんざんなぐられ泣きながら逃げ出すのですが、人を襲わず豚を狙うところがなんとも可愛いです。

本題はここからです。
高知県には山姥神社があります。
由緒を見てみますと
その昔、玉尾御前(姓氏不詳)の御子の乳母として伊勢の国から土佐に入り、今の高知市一宮に住んでいたが、天明元年(1781年)乳母も老婆となり山に追放され、現在の鎮座地を永住の地と決めた。その後、神去り(身罷る、亡くなる)て御神徳顕現により藤左衛門と云う人によりて奉祀されたという。
御神徳だが、漁師が海に出て進路を見失えば、この細藪山の岩(御神体)より光が発せられ無事に家路につけたと云う。また、この部落に住んでいた農家は毎年豊作に恵まれたが、あまりにも実るもので怖くなり畑に火をつけた。それ以後作物は育たなかった等色々と語り継がれている。

・・・これは姥捨てですよ

「昔のある山村の話です。その村では六十歳になると、里から五里以上も離れた山奥に捨てられるならわしでした。年老いて働けなくなるからです。一日二度の食事にもこと欠くほど人々は貧しい生活をしていました。ですから、働かないものが食べることはできなかったのです。老人が捨てられるのは口べらしのためでした。」
(楢山節考より)

真実かどうかはわかりませんが、現実にあったとすれば紛れもなく悲惨な光景を生むことは間違いありません。

棄老については、「大和物語」「更級日記」「更科紀行」にまつわる話があり、「今昔物語」の「七十に余る人を他国に流し遣りし国の語」「信濃の国の夷母棄山の語」にも見られます。

姥捨山と、山姥

先にも書きましたが、山姥の原型は、先住民族の末裔、木地屋やサンカ、あるいは山間を流浪する民、山の神に仕える巫女、狂人、山の神に娶られる者、山人に攫われる者、山隠れする女。
なのかも知れません。

ですが、妖怪化するには余程の恨みや憎しみがなければ鬼にはなれない。
鳥山石燕の山姥は、どことなく寂しそうな気がいたします。

貧しい暮らしを強いられ、食べるものも少ない中で、孫がお腹を空かせて泣いている。
私が居なければ・・・と考えるのはおかしいでしょうか。
息子も涙を流して言います・・・このままでは皆、飢えて死んでしまいます。

病を患っていたり、今でいう認知症であったなら尚のことかも知れません。
今、この飽食の時代にあっても似たような事件が目に付きます。

・・・そこはまさしく修羅場

石燕はこうした時代背景と、多くの伝説や伝承を山姥に託したのかも知れません。


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